フロイトが言っていない

EVERYTHINGが暴走してる心理学ブログ(だと言い張る)

ブログで再び自立の旅を始めよう

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Credit: Photo by Jason Wong on Unsplash

 

 「私の自立」というお題を見たら、これはこのブログの初めての記事にもっともふさわしいじゃないかと思っていた。ブログを真面目にやるのも初めてだし、しかも日本語で書いた記事を皆さんに見せるのも初めてだ。しかし、よく考えば、ブログを始めたきっかけはあんまりにもふざけているものだ。臨床心理の本を読んでいる最中に日本語で心理学について書きたいなあと思っただけで、このブログを作ることにした。(結局、最初の記事は心理学とは関係がないよね。すみません。)


    最近よく耳にした一言といえば、「ゆーさんって、最近めっちゃ行動力るんじゃない?」となると思う。顧みると、最近始めた新しいことが本当に数え切れないほどある。日本語のブログを作ったこととか、社会的事業に関わるとか、東京オリンピックのボランティアに応募したとか…もうすでに自慢話みたいになっているが、私自身も驚いた。

 

 なぜなら、四年前のは、レストランで注文することすらほぼできないやつだった。「四年後こんなこととかしているよ」って言われたら、「それはありえないじゃない?」って私は返事するだろう。


    そんな私がヨーロッパに留学して、異国で一人暮らしを始めたのは三年半前のこと。それは多分この激変の最初のきっかけになったかもしれない。しかし、自立したエピソードとはいえ、現実のどん底に見事にぶつかった。孤独とストレスが溜まったあげく、いつの間にかうつ病と社会不安にかかった。いつも何でもかんでも一人でやれば良いと信じていたが、皮肉なことにこんな私こそ人からの助けが必要だった。

 

 ただ自分を殻に閉じ込めることは自立ではないことを始めってわかったのもあの時だった。その時の私にでも好意を示した人々に触れて、お互いと相談して、頼りあうことで、自分の価値を見出した。それは、たとえどんな自分になっても、誇りに思えるものがあるということ。

 

 自分の価値は世間の評価によるものではなく、自分が戦い続けること自体が誇らしいという内面的なものは一番しっかりしているではないかと考えている。その価値を認識したことによって、一人でいても大丈夫だってわかった。これは私が真の自立までの旅だった。


    自立するのは、一瞬でできることではなく過程だ。場合によって、決して綺麗ではない、ストラグルに満ちている旅かもしれません。でも、最後まで戦い抜けば、望んだ結果が得られなくても、自分が全力で戦ったことで誇らしいと思えば良い。その経験は誰もあなたから奪われないものだから。それは自立したあとこそわかってきたことで、自立して本当に良かったと心から思っている。


    だがその旅はまだ終わっていない。

 

 この記事を書いている時、どう書けばいいのか、どうやって言いたいことを日本語で伝えた方がいいのか、いろいろ悩んでいた。だが、成長することは必ずしも容易なことではなく、成長痛がついているのだ。その成長痛を乗り越えることで、今より良い自分になれると、私は考えている。

 

 心の苦痛を乗り越える勇気を伝えるのはこのブログの趣旨の一つでもある。ですので、最初は恥ずかしいと思っていても、もっともっと新しいことに挑戦するつもりで、公開ボタンを押す。


    最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。

    では、今日も良い一日を。